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 一般財団法人研数学館

法人名称 : 一般財団法人研数学館

 この度の公益法人制度改革により、当法人は平成24年4月1日をもって「一般財団法人」へ移行いたしました。
 法令上の区分は一般財団法人ですが、従前からの活動を継続するとともに、公益的活動の更なる充実に務めてまいる所存です。
 変わらぬご指導、ご助力を賜りますようお願い申し上げます。

平成24年4月


 沿  革

 財団法人研数学館は『数理を研-みが-き宇宙を開く』の理念のもと明治三十年数学の泰斗奥平浪太郎先生創始の私塾を始めとする。大正八年奥平先生没後、財団法人研数学館設立者故片山鬼作先生が学館の経営に参画されてから英語科を併設した。

 大正十二年九月の関東大震災により校舎は灰燼に帰し、研数学館の再建ならびに経営は一に片山鬼作先生の双肩にかかった。以来あらゆる困難を克服されて昭和四年二月に現在の鉄筋四階建ての本館を完成すると共に国語科と理化学科を設置するなど教育組織の大拡充を行い、今日の研数学館の基礎が築かれた。

 当時より片山鬼作先生は私学理工系の教育の必要を痛感されていたが、昭和十六年文部省当局と相諮り、単独にて私財を寄付し財団法人研数学館を設立、自ら理事長の任に就かれて研数専門学校を設置し昭和十七年四月物理学科と数学科の講座を、翌十八年四月には電気通信科の講座を開かれた。当時の私学教育は経済的な困難が伴ないその困難を解消すべく研数学会講習会の名称で予備学校教育を併設しその果実を専門学校の経営に充当してきた。その後幾多の人材を世に送ったが戦後の学制改革により昭和三十年三月第十一回生卒業をもって研数専門学校は自然廃校となった。

 爾来財団法人研数学館は大学受験のための総合予備校として各種学校研数学館の経営に専念し、昭和三十四年三月に冷暖房完備の四階建て新館を増築し教育環境の充実を図っていった。理事長片山鬼作先生は昭和三十七年十月に東京都知事より「教育功労者」として表彰を受け、昭和三十九年四月「藍綬褒章」を受彰、さらに昭和四十三年秋受勲の栄光に浴されたが、昭和四十六年三月一日半世紀にわたり我が国教育界に大きな足跡を残されて満八十六歳で現職のまま急逝され、生前の功績に対して追位を賜った。初代理事長の遺志を継いだ二代目理事長片山政男先生は、昭和五十年十月に東京都知事より「教育功労者」として表彰を受け、昭和五十四年七月文京区本郷に化学実験室を完備した地上四階地下二階の本郷校舎を開校し理化学系受験者のための教育環境をさらに充実させていった。そして昭和五十五年より研数専門学校設立当初の趣旨を継承していくための『理学研究者助成基金』の積立を開始し財団法人としての方向性を明確にした。昭和六十年には習志野市開発公社の要請に応じ総武線沿線の生徒への時間的・経済的負担を軽減させるため千葉県習志野市に地上八階地下一階の専修学校研数学館津田沼校を開校した。さらに昭和六十三年二月に地上五階地下一階の本部校舎B館を、また平成二年七月に地上八階地下一階の津田沼校新館を相次いで完成させ増大する受験生の要望に応え「生徒と共に」を教育理念とし生徒の可能性を最大限に育む予備校としてその存在価値を高めていった。

 しかし十八歳人口の減少や学部・学科の新・増設と短期大学の四年制大学への昇格などに伴なう受入れ枠の拡大で「大学全入時代の到来」とも言われ一年先の受験を目指し捲土重来を期す生徒が大幅に減少し、このような状況のもとで予備校としての教育活動を続けていくことは教育の環境と質を低下させることにも繋がりかねないため研数学館が永年「生徒と共に」という教育理念に支えられ行ってきた大学受験のための予備校教育はその使命を全うしたと判断し、理事長片山政男先生の英断により平成十二年三月限りで予備校としての教育活動を終了し理事長もその任を自ら辞することとなった。

 今後は研数学館創立当時の基本にある『数理を研き宇宙を開く』の考えに基づき理学研究者への支援活動にのみ活動を限定し、財団法人の公益法人としての使命を果たしていく予定である。

平成12年4月


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